猫になるしかない

検証。人には誰しもある程度承認要求というものがあるはずだ。そこで私はどういう時に他人に認めて欲しいと思うか考えた。やはり永年、正社員になりたかったのは、自分の仕事っぷりを認めて欲しいと思っていた訳だから充分承認要求と認定するに足る。

 

あと、昨日のブログでキャラ弁を少々ディスった事もあり、では私の中にもキャラ弁を作った時に起こる衝動というものがあるかもしれない、と思い検証する事にした。キャラ弁は材料がないし、何よりだるい。パウンドケーキでも作ろう。冷蔵庫にカビそうなカボチャがある。つーか、一部分カビているが、そこを切ってしまえば、使える使える。これでかぼちゃのパウンドケーキを作って、毎週うちでゲーム三昧してたむろしている、息子の子供達に食べさせよう。うむ。

 

それで出来上がったパウンドケーキを見ていて、ムクムクと、ムクムクと誰かに見せたいという要求が湧いてきた。おお!これが!承認要求なるものかっっ!ハッキリとそれと認識すると面白い。この感情は常時どのタイミングか知らぬが、感じた事がある!というか、ブログ書いてるのもその感情からだったのか!気が付くの遅い!まあ、見てる人2~3人くらいだけど!

 

と、少々承認要求を承認したコーフンを味わった後、LINEで姉妹に今日作ったんだぜい!いえい!と承認要求を満たしておいた。

 

それで思ったが、承認要求というのは何かをする活力になるという事だ。人の活動力と承認要求は比例すると思っていいだろう。検証してないから分からないが、多分そうだと言える。

 

活力=承認要求だ。誰かに認めて欲しくて頑張るわけだ。で、あらためて思ったが、頑張らなくても良い範囲で、承認要求を満たしたいと思う私は傲慢であるな、と感じたわけだ。

 

キャラ弁作ってる人の根源が、承認要求でもいいではないか。私のようにコタツでそのインスタとか見て、ケッ、って思ってる方が怠慢なのである。

 

人に認めて貰うために何か頑張るより、コタツで寝転んでいるだけで、貴方はそのままでもいいのよ、ステキですね、感動しました、可愛い、マネしたい、って認めてもらえないかしら?って猫にしか許されそうにない事を思ってみたりする。

 

というと、コタツで寝ている猫こそ、承認要求を活力少で手に入れらる、至高の存在と言えそうだな。

 

こりゃ、猫になるしかない。