フレディからトイレまで

この前、話題になっているからとボヘミアン・ラプソディを観に行ったのだ。クイーンもフレディ・マーキュリーもよく知らないのに。それで、脳内で色々思考回路がこんがらがったあげく、う〇ちを出す事はとても大切だな、という結論に到達した。ボヘミアン・ラプソディから、う〇ちを出す事が大切だという結論に至るまでの経緯は、くだらなさ過ぎるような気もするし、深い真理のような気もするし、ただの厨二病的でもあるので、ここに記すのはやめておこう。

 

それで、そこからお腹弱い私、それでも随分強くなったと思うが、お腹弱い人は遠出する場合、常にトイレを意識するものである。この現代社会、大体トイレはそこかしこに溢れていてくれるので、溢れそうになるアレを受け止めてくれる存在の欠如を感じる事はあまりない。

 

だがそんな現代社会でも、私は野外の活動は尻込みする。バーベキュー、花火大会、川遊び、山登り、危険だ。とても危険だ。受け皿がないという不安を拭えない。それとも本当に皿で受けろというのか。そして、私は野外に設置してある簡易トイレぐらい苦手なものはない。いや、あれが得意な稀有な人もおらぬだろーが。汚い、臭い、はもちろん、簡易に置くという事はそれだけトイレが足りぬ状況になりそうだからと設置されるのであって、ダダっ広い野原にポツネンと1人あの箱に入る訳ではなかろう。

 

お腹弱い人のお腹の緊急警報は場所を選ばぬ。野外であの箱に、それも長蛇の列を作っている中で、あの箱の中で緊急に事を成さねばならぬ状況とはまっことこの世の地獄である。何もかもそれこそ漏れ放題である。そもそも長蛇の列の頭まで色々もつとは思えない。だから、私は天上界に生まれた身、アウトドアが好きかと思われるかもしれぬが、苦手である。それに高速バスなども苦手である。高速バスなどに乗る時には不安に苛まれる。ドラエモンにはどこでもドアよりどこでもトイレを出して欲しいと常々思ったものだ。この思考はきっとお腹弱い人に共通する。

 

こんな事を急に書いたのも、実はすぐに雪山に行ける環境にありながら、子供達をスキーの1つにも連れて行っていない事を少し気に病んでいたので、思いっきって今冬連れて行ってみようか!と思ったが、寒い眠いをおして行ったあげく、ゲレンデにそこかしこにトイレがあるとは思えぬ状況、トイレが混んでるんじゃねーか、という疑心暗鬼、という事で3秒で、スキーに連れて行ってあげようと気に病む気持ちが飛んでいった。

 

それで、子供達に言っておいた。スキーやスノボがやりたくなったらね、大人になって自分でお金稼いでそれから好きに行けばいいよ。と。子供達も別に行きたいとも言ってないが。

 

しかし今年は雪が降らぬなあ。