手乗りゴキブリ

いきもにあ、というイベントがあったので車をぶっ飛ばし姉と行ってきた。姉は何でも作る事が好きなのでいきものに関連したグッズを買うのを楽しんだようだ。私はどちからというと見る専門。それより生き物自体を観察させてくれるブースとかの方が興味がある。

 

大きなゴキブリを触らせてもらったが、私はゴキブリは苦手だ。しかしあそこまで大きいとゴキブリだという感覚がなくなる。以前大きなヤスデを触った時もそうだったけど、日常を超えた大きさになると急に不思議な感覚に囚われて気持ち悪いという感覚がなくなる。だが、あれはダメだぞ。書くのもはばかれるので遠回しに書くがハエのベビー。蜂のベビー。あーいう白くてうんにゃらかんにゃらしたものは、どうあっても苦手だ。

 

しみじみ感じるが私は壁がかなり低い。人との壁は高いが、生物としてはせいぜいヨイショと跨げるくらいの壁しかない。だから誰々が気持ち悪いという悪口、あの人が触ったものは気持ち悪い、とかいう感覚があんまり分からない。所詮同じ生物のくくりで出しているものの差など大してないではないか。だからあの人が気持ち悪いものなら私も気持ち悪いものなのだな、と思うわけだ。

 

私が気持ち悪いと思うのは、所詮同じ生物の括りなのに、何だか優劣差別を勝手につけてやんややんやと騒ぐその気持ち悪さだ。優劣差別は勝手につけるがよいが、それを喚いたり協調してもらおうとせずに黙っていらっしゃい。

 

私だって蜂のベビーやハエのベビーが苦手だが、ことさらそれを喧伝したり、憎むべきものと撲滅運動に走りゃしないぜよ。

 

そんな事をゴキブリの固い頭を触って思う。オスだけが固いのだとブースの人が説明してくれた。へえ〜どうしてだろう。不思議。世の中はまだまだ不思議な事だらけ。

 

こういう時金子みすゞの詩をいつも思い出す。私は不思議でたまらない。だれにきいてもわらっててあたりまえだと言うことが。って詩。こういういきものとかを展示して熱心に説明してくれる人は、ごきぶりは気持ち悪い、あたりまえだ、という感覚のない人たちなんだな、と思うと嬉しくて、ゴキブリ苦手な私もついつい手になど乗せてしまうのだ。