調和の一部

普段山に囲まれた自宅から山に囲まれた会社で社畜し車で移動ばかりしているので人間を見るより車と山を見る方が多い。

 

それでたまに電車なぞ乗って街に行くと、人ってこんなにいるのか、としみじみ感じる。それであの1人1人にそれぞれの意識が入っていると思うと自分という意識も特別なものでもなくて、身体の中の細胞一つよりも存在が劣るんじゃないかと思えてくる。

 

細胞自体は私を生かそうと思って行動しているのではなくただ何かうごめいているだけで自然と全体の調和の一部になっているのだから、ただボーと生きている私も大きな何かの調和の一部である可能性だってある訳だ。それなら私も細胞に勝りはしないが劣りもしないだろう。

 

しかし立派に研修生のタヌキちゃんよりは仕事の面で劣っている。それなのに教えるって何を教えたらいいものか。仕方ないから報告書の日本語の間違いをちょいと指摘するぐらいしか教える事がない。

 

カイコくんが関西弁でガンガン話しかけるから、当初は標準語で話そうと思っていた私も今は天上界語でタヌキちゃんに話しかける。

 

タヌキちゃんかわいい。今日はタヌキちゃんの歓迎会。私とカイコくん以外の人も今日はもう少しタヌキちゃんに話しかけてあげて欲しい。なんせ彼女教える事ないくらい仕事は完璧で、日本語の勉強だけに来てるようなものだから。