キツネ×3

今朝出勤中にキツネが轢かれて道路に横たわっていた。可哀想に。キツネの事を考える機会が昨日と今日でいや一昨日もあったから3日連続だ。

土曜日実家を散歩していて神社の前を通った。子供の頃は罰あたりにもこの無人の神社の社の奥までズカズカと入っていって、可愛らしい小さな社に小さな階段がついていて、そこに小さなキツネが飾られているのを動かして遊んだ記憶がある。

それを急に思い出してあのキツネまだあるか今度見に行こう、と思ったのが一昨日。

昨日は新美南吉のごんぎつねの南吉が書いた方のラストの原文を初めて知って号泣。ごんぎつねはあれは教科書で初めて出会ってから、子供心に何故にこんな悲しい話を教科書に載せるのだと思った記憶がある。

今でもごんぎつねを涙なしには読めない。ごんの一方通行な献身が悲しすぎる。すれ違いが悲しすぎる。

で、昨日南吉の書いた方のラストを読んだら教科書と違っている。悲しいけどごんが最後に報われている。教科書のゴンには私は悲しみしか感じなかった。最期まで伝えれなかった悲しみ。でも、南吉の書いた方のラストはいい。こっちのがいい。

子供の前で、うぎゃーごんよがっだね〜と泣きじゃくっていると、双子が、ごんぎつねって?何?と聞いてきた。あ、そうか、4年生の最後の方に習うからまだか。

内緒。いい話だから習うまで教えないよ。と、子供が気にならずにはおられないほど号泣しておきながらふざけた事を抜かす母親ここに1匹生息中。

それが昨日で今日はホンマもんのキツネを道路で見た。

月曜だからただでさえブルーな気持ちがおっそろしくブルーになる。だから仕事はやる気ない感じでやる気なく仕方なくノロノロ進めておいた。

以前新聞の投書に南吉が先生をしていた時の女生徒さんの投書が載っていた。80過ぎくらいのお婆さんの手記。優しくてハンサムだったらしい。南吉。昨日知ったが29歳で亡くなっている。

若いなあ。若くして病気になったからあんな悲しい話が書けたのか?

隣の課のパートのジフさんがとうとう辞めると聞いただけでもごんぎつね効果で涙がダダ漏れそうになる。

この世の中はどうしようもない事で溢れている。ジフん辛かったろうがよく今まで頑張った。イケさんとどうしてもお互い分かり合えなくてとうとう理解し合う事なくジフさんが去ることになったのだが、私は誰も悪くないと思う。

ただ、本当に世の中分かり合える事の方が少ないのだ。そう考えるとごんはやっぱり最期に一番分かって欲しかった人に気が付いて欲しかった人に気が付いてもらえたのかだから、最期は本当に幸せだったんだろうな。

よし。今年中には南吉の故郷でも訪れてみようかな。薄幸の美青年なんてヨダレものだろうよ。



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