こんな問題もできない問題

長男がどうやったらその点数を取って来れるの?という底辺点数を取ってきた事もあり、こりゃ来年行ける高校がどこにもないぞなアリゾナ州状態な為、お高いお金を払って家庭教師をお願いする事になった。

 

最終手段であるのでこれでダメなら親としてすっぱり諦めがつくし、親バカであるかもしれないが社会に出たら真面目に働くタイプであるのは間違いないので、安月給でも一緒懸命働いて静かに暮らせるだけのお金を稼げばよかろーよ、高校は近くのもしかしてチンパンジーでも合格させてもらえるんじゃないかという高校に通えば良い、と思っている。しかし諦めるまでにはまだ1年あるので、資金投入した訳だ。

 

家庭教師の先生は23才の甥っ子と同じ大学に通っている好青年だった。どーせ投入するなら中途半端はいけないと、値の張る家庭教師の会社にして良かった。1日目、息子はとても分かりやすいし、いい先生だったと満足そうだ。

 

しかしお高い家庭教師を雇う決心出来たのは共働きな上に私が正社員試験を受けさせて貰える事が大きな要因だ。そうでなければ金銭的にかなりキツイ。ここでのポイントはまだ受かってもいないのに取らぬタヌキの皮算用で早々に家庭教師に来てもらう事にした事だ。

 

落ちたらどうするっちゅうねん。ま、そこそこ残業しているから残業代でまかなえばいいけどさ。

 

でも、本当に正社員になりたい。わたくしは息子よりは成績が良かったが、同じく勉強は嫌いで一切やらず、数学は本当に致命的なまでに出来なかった。だから今仕事でそこそこ苦労している。今になって勉強しなければならないが、学生の頃よりやる気はある。何故なら目的が明確だからだ。仕事で必要な知識を身につける目的。子供の頃は明確な目的がないから全然やる気にならない。

 

でもやっぱり勉強は大切でありますな。それを息子に説いてもわかり様子がないけど。

 

それにしてもだ、正社員試験に英語と数学が出て、数学に時間がかかりすぎて英語に辿り着けず、悲惨な結果であるのは間違いなし。面接もダメだしくらうし、作文などテストができなかったダメージから回復できずに何を書いたか覚えていないくらいだから出来には期待できぬ。全く受かる要素が見当たらない。

 

終わった後にカイコくんにだけ正社員試験を受ける事を漏らしていたので、(数学の特訓を受ける為に仕方なく事情を説明して教えて貰った…)、数学難しかった。時間なかった。中学3年生くらいの問題が出た!と言ったら、中3の問題が分からないのは、あなたが悪い、ともっともなご指摘を受ける。

 

あーあー。5年間、人の3000倍は頑張って仕事してきたのに、結局数学とか英語とかお勉強で測られる訳〜っとやさぐれる気持ちも分かってくれ。

 

しかしお勉強はホンマ大事やぞ、と息子に呪いのように唱えるY

手乗りゴキブリ

いきもにあ、というイベントがあったので車をぶっ飛ばし姉と行ってきた。姉は何でも作る事が好きなのでいきものに関連したグッズを買うのを楽しんだようだ。私はどちからというと見る専門。それより生き物自体を観察させてくれるブースとかの方が興味がある。

 

大きなゴキブリを触らせてもらったが、私はゴキブリは苦手だ。しかしあそこまで大きいとゴキブリだという感覚がなくなる。以前大きなヤスデを触った時もそうだったけど、日常を超えた大きさになると急に不思議な感覚に囚われて気持ち悪いという感覚がなくなる。だが、あれはダメだぞ。書くのもはばかれるので遠回しに書くがハエのベビー。蜂のベビー。あーいう白くてうんにゃらかんにゃらしたものは、どうあっても苦手だ。

 

しみじみ感じるが私は壁がかなり低い。人との壁は高いが、生物としてはせいぜいヨイショと跨げるくらいの壁しかない。だから誰々が気持ち悪いという悪口、あの人が触ったものは気持ち悪い、とかいう感覚があんまり分からない。所詮同じ生物のくくりで出しているものの差など大してないではないか。だからあの人が気持ち悪いものなら私も気持ち悪いものなのだな、と思うわけだ。

 

私が気持ち悪いと思うのは、所詮同じ生物の括りなのに、何だか優劣差別を勝手につけてやんややんやと騒ぐその気持ち悪さだ。優劣差別は勝手につけるがよいが、それを喚いたり協調してもらおうとせずに黙っていらっしゃい。

 

私だって蜂のベビーやハエのベビーが苦手だが、ことさらそれを喧伝したり、憎むべきものと撲滅運動に走りゃしないぜよ。

 

そんな事をゴキブリの固い頭を触って思う。オスだけが固いのだとブースの人が説明してくれた。へえ〜どうしてだろう。不思議。世の中はまだまだ不思議な事だらけ。

 

こういう時金子みすゞの詩をいつも思い出す。私は不思議でたまらない。だれにきいてもわらっててあたりまえだと言うことが。って詩。こういういきものとかを展示して熱心に説明してくれる人は、ごきぶりは気持ち悪い、あたりまえだ、という感覚のない人たちなんだな、と思うと嬉しくて、ゴキブリ苦手な私もついつい手になど乗せてしまうのだ。

 

 

計算外

男の子を育てるにあたり私はとてつもなく気をつけている事がある。それは家事をやらせて、家事は母親だけの仕事ではないと教えこませようとした訳だ。

 

私は奥さんを下僕のように使う男の人は好きではない。そういう事でダンナ・ハーンも結婚してから徐々に教育しなおし、今では自分のシャツは自分でアイロンをかけれるまでになった。自分の事を自分で出来ない人間が金も払わず人様に自分の事を押し付け奥さんに偉そうにしているのを見るにつけ恥ずかしい奴だと思う訳だ。

 

そりゃ人間だもの。色々人様に押し付けたいもんだ。しかし押し付けるなら金を払うかそれなりのお返しというものが必要だ。金も払わずたいしたお返しもなく誰かのために動けるか?いや、動けない。動くとしたらこの世の中で貴方だけは誰にも渡したくない、私に依存させて甘やかせて共依存の関係に陥らせたい、というほどメンヘラチックに尽くしたい相手が出来れば別だ。今の所ハーンを含めて(←酷い)私をメンヘラ的衝動からそう動かせる相手はいない。

 

そして我が息子達も女人をそこまで惚れさせる才能などありはしないのが、生まれいでたその時から決定している。ならば自分の事は自分で出来る人間にならなければ一緒に暮らす相手を見つけれないかもしれない、とばかりに息子達に家事を手伝わせてきたのだ。

 

しかしここにきて計算外の事がおこった。洗濯物をせっせっと畳む息子達を横目にソファでグダンと横になっている娘はこりゃどうした事か。自分の事を人に押し付けて平気なクズのような男を世の中に送り出したくないが為に必死になっていたら、自分の事を人に押し付けて平気なクズみたいな女人が出来そうだ。これはいかん。

 

りーちゃん!一緒にやるの!と叱るも逆ギレされる。今やろうと思ってた!と。今やろうとしてた人はブラックジャック寝転んで読んでないから…ってツッコミは娘の逆鱗に触れるのでやめておこう。

 

それに書いてて不安になってきた。自分がクズでない自信が全くないことに。。

田舎者は折り畳まない

この前姉と話していて、街に住む親戚と1日遊ぶ機会があったのだが、皆折り畳みの日傘を持っていてビックリした、と言うのだ。

 

そうなのである。わたくしも数年前から街に住んでいる友、ならびに街に住んでいた友と行動を共にするようになって驚いたが、みんな折り畳み傘をご携帯あそばせている。

 

わたくしたち姉妹にとって傘はものすごい土砂降りの時にようやく日の目を見る(傘なのに日の目というのなんだが)ものであり、普段は車の中にただ転がっているだけの存在なのだ。

 

大体田舎に住んでると本当に歩かない。どこへ行くにも数キロは離れているので車で行くしかない。雨に濡れる機会は車から目的の建物までの数メートルしかない。数メートルのために傘を隣の車にぶつけないように開き、また入る時に閉じ、などとやっている時間にハッキリ言ってそこそこ濡れる。という事でそこその雨なら傘など差さず走った方が雨には濡れぬ。

 

という事で傘を開く機会が田舎は圧倒的に少ないのだ。都会に比べて。そんなただでさえフツーの傘も日の目を見ること無く雨に打たせてもらえないものを、どうして折り畳み傘などが雨に打たせてもらえるものか。というかそもそも折り畳み傘などタンスの中で旅行時に備えスタンバイしているだけで田舎者は常のクセでそこそこの雨なら濡れてなんぼなので、旅先でそれこそ雨に降られたとしても折り畳み傘も折々と重なった骨をめいいっぱい広げる夢を見ているであろうに、その夢を叶えてあげる事も叶わぬ。なんてたってカバンからモタモタと出して差した後にそれを手に持って歩く事のめんどくささったらない。

 

そんなこんなで先月お目当てのバンドのライブを見るために街へ行った時も傘など持たずに行ったのだが、ライブが終わって駅から出ると雨が結構降っている。屋根つたいに歩いても限度があるので大変濡れた。街を行く人はそれこそ皆折り畳み傘を広げて慣れた手つきで傘を差していく。

 

しかしやはり街で傘を差すのは田舎者にはストレスでしかない。田舎で傘など差しても人にぶつかる危険性はゼロに等しいのでのびのびと歩けるが街を歩くには気を使う。電車の中でも気を使う。ああ、いやだ。ストレス。それなら少々の雨に降られた方が精神衛生上大変よろしい。風邪をひいて会社を休めたら尚よろしで、いい事ずくめではないか。

 

うむ。しかし1人の場合はそれでいいが、誰かと行動する時の相手の気持ちになったら傘も持たずにビショビショと濡れている人と行動していたら、周囲に新手のイジメかと思われて相手の人格疑われてしまうかもしれない。または相手に気を使わせスっと傘をさして出させてしまうかもしれない。

 

そんなこんなで折り畳み傘を携帯あそばせる事にこれからはしようではないか。

 

 

書道家

次男坊がゲームを父親に禁止されているのだが、1ヵ月色んな約束事をキッチリ守ったら月末の土日にのみゲームをやらせてもらえるらしい。しかし次男坊が、1ヵ月散々我慢して努力してたった2日だけなら、僕はもうゲームはやらない。努力するの嫌だからと堂々とのたまう。

 

そうなのだ。私も全くそのタイプだ。何か大きな目標の為にコツコツ努力する事が苦手だ。今やりたい事を我慢できないので、本当にやりたいちょっと先の事にたどり着けない。目の前にぶら下がる大好物人参より口元にあるいつもの干草を食べちまうのだ。干草我慢したら人参食べれるって、そんなの諦めてフツーに干草食うわ。それから人参はどんな悪どい手段を使ってでも手に入れるわ。という腐った根性はあるが真っ当な努力はできない。

 

そんな次男坊、僕は書道家になるといきなり言い出し最近は来る日も来る日も書道道具を傍らに文字を書きまくっている。そして自分の字を自画自賛している。こういう無駄な努力は惜しまないんだよなあ。無駄無駄無駄無駄!ってアホっぽい無駄な事するのは私も嫌いじゃないから好きにやらせているが。

 

これも一時の流行り病のようなものだと、床に散らばるばらかもん(書道漫画)を見て思う。影響受けすぎかよ。ま、私もめちゃくそ影響受けるタイプだが。

 

天空の城ラピュタテレビで初めて見た時はシータの秘密の名前を暗記してブツブツ呟いていたので、母親に何ボソボソずっと呟いてるの?大丈夫?と心配された記憶がある。

 

次男坊の書道家なりきりも私の、る、しーた、とえる、うる、らぴゅた、と同じと思えばいくらか次男坊の方がマシに思えるな。

 

とりあえず、頑張ってくれ。書道家

お化けなんてないさ!

昼ご飯の時にお化けの話になった。私はこの手の話を聞いているとイライラしてくる。何故ならお化け、幽霊の類を信じないからだ。どうして人はたやすく幽霊やお化けを信じるのであろう。私も全否定をしている訳ではないが、見えるという人やそういう人の話をすぐ真に受けて、キャー怖い~、てな感じが無理なのだ。

 

だって、ある人には見えてある人には見えないって単純に見える人の脳内の機能的な特色である可能性否めなくない?鳥や犬や生き物一つとったってそれらと同じものを見てもきっと同じものを見ているようには映っていない。

 

この前カラスが道路に飛び出てきて、あ!轢いてしまった!と車を止めたらそれは黒いビニール袋だった。同じ私が見ていても黒いビニール袋は数秒前には私の目にはハッキリとカラスが映っていたんだから、人間の見るものの不確かさなんて証明されているではないか。

 

それなのに自分には見えもしないものを他人が見えると言ったってたやすく信じられるかっっ。自分の見たものでさえ不確かで信じられないのにさっっ。

 

それから私がもし他人に見えなくて自分にだけ見えているものがあっても絶対誰にも話さんぞ。人を無闇に怖がらせて何が楽しい。そして、わざわざ人に話す事でもないだろう。自分にしか見えないものなんて人には沢山ある。カラスのかわいさ生き物の輝きなんて、一緒にその場にいる人に見て見て!とコーフンして話しても相手にしてくれぬ人が多いではないか。その人達には見えていないのだ。カラスのかわいさ生き物の輝きが。

 

それなのに、何故にお化け!幽霊!がいた!なんて事は自分には見えてないのに、そんなに相手できるんだ、みんな。何?ちょっと怖がってそのスリルを楽しみたいわけ?そんなの相手するくらなら、カラスが美味しそうにミミズを食べる所を一緒に見てくれや。

 

という、以上の理由により今日のランチの時間も1人お化け信じない派として内心イライラしながら話を聞いていた。

 

私はお化けも幽霊も信じず、お化け屋敷なんて笑いがこみ上げてくる程だが、何故かホラー映画と心霊写真(と言われる類のもの)だけは怖くて見れない。

 

いないけど、何か怖いモノ。でもさ、そんなの怖がってるより、世の中現実的に怖いものいっぱいあるから、見えない人は信じなくてもいいと思います。とりあえず、私はいるか分からない霊より、山となった仕事、毎日鏡に映る老けたおばはん(多分あの人は私やろな)、財布に入れてもすぐに無くなるお金、そして何より雷様の方が怖いでやんす。

 

さえずりを聞く

最近Twitterの面白さにハマっている。私は見る専門なのだが、Twitterは自由に自分の好きな事を囀っている人ばかりなのだ。だから鳥のマークなのね、とあらためて気がつく。(違うのか?)

 

そしてその囀りは私が10代の時に感じた周囲に自分しかいないと思っていた何だか根暗な事が好きな変な人扱いを受けなくても良かったし、疎外感を今のこの時代なら感じなくて済んだのだな、と思うほどTwitterの人々は名名の好きな趣味を惜しげもなく披露してくれている。

 

私が幼い頃蜘蛛が蜘蛛の巣を作るのを1時間も飽きずに眺めて感動したような感覚を持ったまま大人になり、虫好きな人は虫を極め、生き物を極めている。宇宙の事も、道の事も、極めている人は本当に極めてそれを惜しげもなく本当に惜しげもなく囀ってくれる。面白い。

 

私はこれだけは断言できるが何か一つを極める事はできない。何故なら好奇心が節操ないので、大概のご趣味にお付き合いが出来てしまい、そのどれか一つを極める事ができないであろう。

 

そしてその好奇心の向く先はハッキリとしていて、知らない事を知りたい、知らない事があると知りたい、という事だ。だからあまり人間様の遊び的なご趣味には興味がない。

 

海でバーベキューするけど来る?となったらバーベキューは人様がお肉焼い焼いするだけなので興味の向きようがなく、海で、の所の海に興味を湧いてしまう。海辺にはどんな貝殻があるのかな、どんな形の石があるのかな、どんな生き物がいるのかな、どうしてかな、不思議だな、という事にしか興味がない。

 

だからTwitter見ていると、ああ!今すぐこの人について辺境の国道を旅して辺境の地を訪れてみたい!とか、この人にご一緒して昆虫捕まえたりしたい!とか、ウズウズしてくるのだ。

 

私は何か一つを大好きで極めている人の話を聞くのは大好きだ。だから性的なご趣味でなかったら大概の事はお付き合いできるのでお付き合いしたいのだが、如何せん人見知りだ。つーか、人は苦手だ。だから1人で好きな事をしている人のお邪魔をしたいがお邪魔できない。

 

どーか伸び伸びと今後も好きな事を極めて欲しいと楽しみに毎日さえずりを聞かせていただいているのだ。ま、実際鳥も大好きなのでフォローして鳥さんの囀りも聞いてるけどな。