母の深い愛

実家の職業柄、初詣に神社にお参りにいく習慣などなく育った。それどころか、クリスマスの習慣もなかったのだが、人とは恐ろしいものだね。自分基準なので、この前会社で、うちらの年代はクリスマスプレゼントどころかサンタ信じる信じないもなかったですよね〜アハハ笑と大口開けて笑っていたら、年齢の近い主任も係長も、いや、小学生頃まではサンタからプレゼント貰ってたよ、と仰る。

 

ギョッとしてどこか冷めてるカイコくんならサンタにプレゼントもらってなさそうなので(←すごい偏見)、カイコくんはサンタなんて信じてた?プレゼント貰ってた?と聞くと貰っていたというではないか。なんとまあ、つまりだ、クリスマスの習慣がない方がマイノリティだっと齢40越えにして気が付く。

 

それはそうと私も人並みに人のマネでもしてみようと、初詣に行くことにした。いつぞやどこからの帰りに国道から見えたあの大きめの鳥居の所に行ってみよう。

 

私は世間知らず常識知らずなのは兄弟姉妹のお墨付きである。同じ世間の風習にあまり触れずに育ったとしても他のメンバーはちゃんと世の中を見て生きて来たが、悪いが私は宇宙の星ばっかり眺めてぼんやり妄想の世界で生きていたので、その分マジで世間知らず常識知らず。仕方あるまい。私は人間世界という小さな世界で生きていないのだ。宇宙規模で生きているので、小さな事は全然気にできぬ。ガッハッハッ。と、言いつつ大口はたいていたら正社員試験で常識知らずが露呈し死ぬほど恥ずかしい指摘を受けるハメになったので深海より深くマグマだまりを抜けて地球の裏側に飛び出てサンバを踊るくらい、今は反省している

 

ということで上記の理由から我が子供達を私のような常識知らず世間知らず礼儀知らずの妄想宇宙人にしてはいけないと、世間の風習を学ぶ為にも初めて初詣に行った。長男が妄想宇宙人の息子らしく自作の小説、12冊目に突入しているらしいが8冊目まではあまりに下手すぎて手直しが必要だと、この前わたくしに言ってきたが、腹を抱えて笑う所を必死で耐えて、うん…頑張れ、と親として優しく応援してあげたのだ。やはり世間の風習・常識などを学ばせておかないと、息子も私側の妄想宇宙人こじらせ大人になってしまう。現実を見ろ!!

 

と、神社に行く前に少し大きめの古墳によったら、かーちゃん、スマホ貸して。小説のネタになりそうな景色だから写真撮っておく。と、のまたったんですわ奥さん。聞いてます?そこでも床に転がって笑いたい所を、グッと堪えてスマホ貸してあげた母の愛を誰か褒めてくれ。

 

神社のよく分からない神様、どうか長男の小説熱を勉学へ向けてくださいまし。小説12冊も書いてる割には、よくこの成績でいられるなあ、と感心する底辺成績なので、このままでは行く高校がありませぬ。よろぴく〜

 

よし、お願いしといたからこれで高校はモーマンタイ。妄想宇宙人なのであまり息子の成績の悪さにも深刻になれない、あたし。宇宙規模だから小さい事は気にならんばい。

 

 

 

孤独の映画

正月なのでゴロゴロしている。たまたま撮ってあったゴッドファーザーを観ている。やっぱり何度観てもいい。1番好きなシーンは主人公のマイケルが妹の子供の洗礼式に出る所だ。教会で神の前で神父の問いかけに応えている場面と、敵対するマフィアのボス達を次々と一掃していくシーンが、交互に出てくる。マイケルの冷徹さとその裏に深い孤独を感じる。

 

ファミリーを守る為には冷徹でなければならない。神の前でも平然と嘘を誓えるのだから最後のシーンに出てくる奥さんからの問いにだって平気で嘘をつける。扉が閉まる前の奥さんの不安な表情。ファミリーの話しなのに孤独しか感じないんだよなあ。

 

音楽もいい。是非是非1人でも多くの人に観てもらいたい、お勧めしたい映画だが、なんせ暗い。話も暗いが映像も暗い。とにかく人がわんさか死ぬからな、男の人には受けがいいかもしれないが、私は私以外で女の人でゴッドファーザーがいい、と言っている人に会った事がない。そもそも古い映画なので観ている人も少ない。

 

でも、たまらなくいい映画だと思う。ゴッドファーザーて何?と問われたら、所詮、人は孤独だよね、家族でいようと、誰といようと、1人でいようと、孤独が基本であって孤独でないと思おうとしている自分達に惜しみなく、ああ、やっぱり考えないようにしてたけど、人間て孤独なんだよね、そっか。と突きつけてくる映画なわけだ。色々見方はあるだろうけど、私はゴッドファーザーからは容赦ない孤独を感じる訳だ。

 

人は所詮孤独だと思うと、とても気が楽だ。孤独だから、寂しいから人と繋がろうとしても全然いいわけだし、どーせ孤独ならずっと孤独を楽しむよ、と1人でいても良い訳だ。

 

だけどやっぱり孤独がヒシヒシ感じられて、ちょっとしたお涙頂戴映画を観るより、私はゴッドファーザー観てた方が寂しすぎて号泣してしまうのだ。

 

 

正義

新年あけおめ。実家でのんびりお正月。実家の職業柄子供の頃は客人が多い上に酔っ払いが多くて、人見知りの私は部屋に引きこもるしかなかったお正月も、今となっては客人か歳を取り訪れる人も減り、本当に身内だけのお正月になった。父母には悪いが私はこの方が安らぐ。ひゃっほー

 

うちの家族は私を抜いて器用で料理上手がそろっているので、お母様の作ったすき焼きとおせち料理、キムチ、妹の作ったローストビーフ、鶏ハム、お兄様の作ったどて煮、フルーツのたっぷりの生クリームのデザート、とデブ飯三昧。牡蠣も食べて、刺身も食べてもう食べられない、と思いきやお姉様の買ってきたスコーンをコーヒーと一緒に食べてる。

 

しかし私はお餅は食べない。雑煮は10年以上口にしていない。お餅嫌いではないが、好んで食べない。

 

これからエビフライを皆で作る。昨日のカロリーは年末で精算されてカロリーゼロになると伊達さん?が言っていたと妹が言っていたので、今日からが本気のカロリー摂取か?

 

しかし鶏ハムも生クリームも白いからカロリーゼロだし、犬の散歩していたら風が冷たくてエネルギーの大半を消費したし、子供達のゲームやってる叫び声の勢いがすごくて、その音圧により体からカロリーが押し出された。これでエビフライも食べられる。

 

よかった。美味しいは正義だ。正義には従う他ないのだ。

こんな問題もできない問題

長男がどうやったらその点数を取って来れるの?という底辺点数を取ってきた事もあり、こりゃ来年行ける高校がどこにもないぞなアリゾナ州状態な為、お高いお金を払って家庭教師をお願いする事になった。

 

最終手段であるのでこれでダメなら親としてすっぱり諦めがつくし、親バカであるかもしれないが社会に出たら真面目に働くタイプであるのは間違いないので、安月給でも一緒懸命働いて静かに暮らせるだけのお金を稼げばよかろーよ、高校は近くのもしかしてチンパンジーでも合格させてもらえるんじゃないかという高校に通えば良い、と思っている。しかし諦めるまでにはまだ1年あるので、資金投入した訳だ。

 

家庭教師の先生は23才の甥っ子と同じ大学に通っている好青年だった。どーせ投入するなら中途半端はいけないと、値の張る家庭教師の会社にして良かった。1日目、息子はとても分かりやすいし、いい先生だったと満足そうだ。

 

しかしお高い家庭教師を雇う決心出来たのは共働きな上に私が正社員試験を受けさせて貰える事が大きな要因だ。そうでなければ金銭的にかなりキツイ。ここでのポイントはまだ受かってもいないのに取らぬタヌキの皮算用で早々に家庭教師に来てもらう事にした事だ。

 

落ちたらどうするっちゅうねん。ま、そこそこ残業しているから残業代でまかなえばいいけどさ。

 

でも、本当に正社員になりたい。わたくしは息子よりは成績が良かったが、同じく勉強は嫌いで一切やらず、数学は本当に致命的なまでに出来なかった。だから今仕事でそこそこ苦労している。今になって勉強しなければならないが、学生の頃よりやる気はある。何故なら目的が明確だからだ。仕事で必要な知識を身につける目的。子供の頃は明確な目的がないから全然やる気にならない。

 

でもやっぱり勉強は大切でありますな。それを息子に説いてもわかり様子がないけど。

 

それにしてもだ、正社員試験に英語と数学が出て、数学に時間がかかりすぎて英語に辿り着けず、悲惨な結果であるのは間違いなし。面接もダメだしくらうし、作文などテストができなかったダメージから回復できずに何を書いたか覚えていないくらいだから出来には期待できぬ。全く受かる要素が見当たらない。

 

終わった後にカイコくんにだけ正社員試験を受ける事を漏らしていたので、(数学の特訓を受ける為に仕方なく事情を説明して教えて貰った…)、数学難しかった。時間なかった。中学3年生くらいの問題が出た!と言ったら、中3の問題が分からないのは、あなたが悪い、ともっともなご指摘を受ける。

 

あーあー。5年間、人の3000倍は頑張って仕事してきたのに、結局数学とか英語とかお勉強で測られる訳〜っとやさぐれる気持ちも分かってくれ。

 

しかしお勉強はホンマ大事やぞ、と息子に呪いのように唱えるY

手乗りゴキブリ

いきもにあ、というイベントがあったので車をぶっ飛ばし姉と行ってきた。姉は何でも作る事が好きなのでいきものに関連したグッズを買うのを楽しんだようだ。私はどちからというと見る専門。それより生き物自体を観察させてくれるブースとかの方が興味がある。

 

大きなゴキブリを触らせてもらったが、私はゴキブリは苦手だ。しかしあそこまで大きいとゴキブリだという感覚がなくなる。以前大きなヤスデを触った時もそうだったけど、日常を超えた大きさになると急に不思議な感覚に囚われて気持ち悪いという感覚がなくなる。だが、あれはダメだぞ。書くのもはばかれるので遠回しに書くがハエのベビー。蜂のベビー。あーいう白くてうんにゃらかんにゃらしたものは、どうあっても苦手だ。

 

しみじみ感じるが私は壁がかなり低い。人との壁は高いが、生物としてはせいぜいヨイショと跨げるくらいの壁しかない。だから誰々が気持ち悪いという悪口、あの人が触ったものは気持ち悪い、とかいう感覚があんまり分からない。所詮同じ生物のくくりで出しているものの差など大してないではないか。だからあの人が気持ち悪いものなら私も気持ち悪いものなのだな、と思うわけだ。

 

私が気持ち悪いと思うのは、所詮同じ生物の括りなのに、何だか優劣差別を勝手につけてやんややんやと騒ぐその気持ち悪さだ。優劣差別は勝手につけるがよいが、それを喚いたり協調してもらおうとせずに黙っていらっしゃい。

 

私だって蜂のベビーやハエのベビーが苦手だが、ことさらそれを喧伝したり、憎むべきものと撲滅運動に走りゃしないぜよ。

 

そんな事をゴキブリの固い頭を触って思う。オスだけが固いのだとブースの人が説明してくれた。へえ〜どうしてだろう。不思議。世の中はまだまだ不思議な事だらけ。

 

こういう時金子みすゞの詩をいつも思い出す。私は不思議でたまらない。だれにきいてもわらっててあたりまえだと言うことが。って詩。こういういきものとかを展示して熱心に説明してくれる人は、ごきぶりは気持ち悪い、あたりまえだ、という感覚のない人たちなんだな、と思うと嬉しくて、ゴキブリ苦手な私もついつい手になど乗せてしまうのだ。

 

 

計算外

男の子を育てるにあたり私はとてつもなく気をつけている事がある。それは家事をやらせて、家事は母親だけの仕事ではないと教えこませようとした訳だ。

 

私は奥さんを下僕のように使う男の人は好きではない。そういう事でダンナ・ハーンも結婚してから徐々に教育しなおし、今では自分のシャツは自分でアイロンをかけれるまでになった。自分の事を自分で出来ない人間が金も払わず人様に自分の事を押し付け奥さんに偉そうにしているのを見るにつけ恥ずかしい奴だと思う訳だ。

 

そりゃ人間だもの。色々人様に押し付けたいもんだ。しかし押し付けるなら金を払うかそれなりのお返しというものが必要だ。金も払わずたいしたお返しもなく誰かのために動けるか?いや、動けない。動くとしたらこの世の中で貴方だけは誰にも渡したくない、私に依存させて甘やかせて共依存の関係に陥らせたい、というほどメンヘラチックに尽くしたい相手が出来れば別だ。今の所ハーンを含めて(←酷い)私をメンヘラ的衝動からそう動かせる相手はいない。

 

そして我が息子達も女人をそこまで惚れさせる才能などありはしないのが、生まれいでたその時から決定している。ならば自分の事は自分で出来る人間にならなければ一緒に暮らす相手を見つけれないかもしれない、とばかりに息子達に家事を手伝わせてきたのだ。

 

しかしここにきて計算外の事がおこった。洗濯物をせっせっと畳む息子達を横目にソファでグダンと横になっている娘はこりゃどうした事か。自分の事を人に押し付けて平気なクズのような男を世の中に送り出したくないが為に必死になっていたら、自分の事を人に押し付けて平気なクズみたいな女人が出来そうだ。これはいかん。

 

りーちゃん!一緒にやるの!と叱るも逆ギレされる。今やろうと思ってた!と。今やろうとしてた人はブラックジャック寝転んで読んでないから…ってツッコミは娘の逆鱗に触れるのでやめておこう。

 

それに書いてて不安になってきた。自分がクズでない自信が全くないことに。。

田舎者は折り畳まない

この前姉と話していて、街に住む親戚と1日遊ぶ機会があったのだが、皆折り畳みの日傘を持っていてビックリした、と言うのだ。

 

そうなのである。わたくしも数年前から街に住んでいる友、ならびに街に住んでいた友と行動を共にするようになって驚いたが、みんな折り畳み傘をご携帯あそばせている。

 

わたくしたち姉妹にとって傘はものすごい土砂降りの時にようやく日の目を見る(傘なのに日の目というのなんだが)ものであり、普段は車の中にただ転がっているだけの存在なのだ。

 

大体田舎に住んでると本当に歩かない。どこへ行くにも数キロは離れているので車で行くしかない。雨に濡れる機会は車から目的の建物までの数メートルしかない。数メートルのために傘を隣の車にぶつけないように開き、また入る時に閉じ、などとやっている時間にハッキリ言ってそこそこ濡れる。という事でそこその雨なら傘など差さず走った方が雨には濡れぬ。

 

という事で傘を開く機会が田舎は圧倒的に少ないのだ。都会に比べて。そんなただでさえフツーの傘も日の目を見ること無く雨に打たせてもらえないものを、どうして折り畳み傘などが雨に打たせてもらえるものか。というかそもそも折り畳み傘などタンスの中で旅行時に備えスタンバイしているだけで田舎者は常のクセでそこそこの雨なら濡れてなんぼなので、旅先でそれこそ雨に降られたとしても折り畳み傘も折々と重なった骨をめいいっぱい広げる夢を見ているであろうに、その夢を叶えてあげる事も叶わぬ。なんてたってカバンからモタモタと出して差した後にそれを手に持って歩く事のめんどくささったらない。

 

そんなこんなで先月お目当てのバンドのライブを見るために街へ行った時も傘など持たずに行ったのだが、ライブが終わって駅から出ると雨が結構降っている。屋根つたいに歩いても限度があるので大変濡れた。街を行く人はそれこそ皆折り畳み傘を広げて慣れた手つきで傘を差していく。

 

しかしやはり街で傘を差すのは田舎者にはストレスでしかない。田舎で傘など差しても人にぶつかる危険性はゼロに等しいのでのびのびと歩けるが街を歩くには気を使う。電車の中でも気を使う。ああ、いやだ。ストレス。それなら少々の雨に降られた方が精神衛生上大変よろしい。風邪をひいて会社を休めたら尚よろしで、いい事ずくめではないか。

 

うむ。しかし1人の場合はそれでいいが、誰かと行動する時の相手の気持ちになったら傘も持たずにビショビショと濡れている人と行動していたら、周囲に新手のイジメかと思われて相手の人格疑われてしまうかもしれない。または相手に気を使わせスっと傘をさして出させてしまうかもしれない。

 

そんなこんなで折り畳み傘を携帯あそばせる事にこれからはしようではないか。